2008年04月10日
原点
平成6年の暮れに関西でお世話になった所の会報誌に載せた文章が引越し荷物から出てきました。初めての関西への引越しへの感動は
今も変わらぬ念いです
千早赤阪村の金剛山の大自然の景色がでてきます
長い文章ですが
ここに載せさせていただきます
『花と私』
生まれ育った東京を離れる時は 満開の桜に見送られて来ました。
こちらに来て山桜、コブシの花達に出迎えられ
新緑となってからは
日々眩しくなる緑とともに
合歓の木が鳥の羽のように咲き乱れ
百日紅の息の長い三ヶ月が過ぎ
漆の木が一番に頬を染めたと思ったら 今はもう毎日が確実に変化して行く紅葉をまのあたりにし
何という贅沢をさせて頂いているのでしょうと感動して胸が一杯になっております
フラワーアレンジメントは私にとって
生活の中に溶け込んで「おはよう」とか「ただいま」とか花と対話し
愛でて 慰めてもらったり励ましてもらったり
心弾むものです
テクニックは二次的なもので 少しでも長持ちさせる工夫であったり 空間をいかす為の形であったりします
遊び心をたくさん持って楽しんでもらえたら幸いです
花の仕事をしてきた私にとって 出会えるのは 太田市場へ届けられる輸入花や日本全国の切り花が全てでした
もちろん 今日はどんな花たちに出会えるのかワクワクするのですが 季節感やら植生にとんと弱くなっていました
空気の澄み切った空の雲のあまりに壮大で美しい自然に今包まれてみると
生命への畏敬の念を忘れてはいけない
人間が人間でなくなってしまう
人間社会の枠の中での優越や劣るなどに囚われては大事な大切な忘れ物をしてしまうと
自分の内側に問われるものがあります
そして観音のうたごよみに書かれてある 心の窓をいつでもたたき続けてくれる自然
それに気がついて我に返れますように
自分の中心に戻れますようにと 祈る気持ちでいっぱいです
平成6年12月13日 恭子
今も変わらぬ念いです
千早赤阪村の金剛山の大自然の景色がでてきます
長い文章ですが
ここに載せさせていただきます
『花と私』
生まれ育った東京を離れる時は 満開の桜に見送られて来ました。
こちらに来て山桜、コブシの花達に出迎えられ
新緑となってからは
日々眩しくなる緑とともに
合歓の木が鳥の羽のように咲き乱れ
百日紅の息の長い三ヶ月が過ぎ
漆の木が一番に頬を染めたと思ったら 今はもう毎日が確実に変化して行く紅葉をまのあたりにし
何という贅沢をさせて頂いているのでしょうと感動して胸が一杯になっております
フラワーアレンジメントは私にとって
生活の中に溶け込んで「おはよう」とか「ただいま」とか花と対話し
愛でて 慰めてもらったり励ましてもらったり
心弾むものです
テクニックは二次的なもので 少しでも長持ちさせる工夫であったり 空間をいかす為の形であったりします
遊び心をたくさん持って楽しんでもらえたら幸いです
花の仕事をしてきた私にとって 出会えるのは 太田市場へ届けられる輸入花や日本全国の切り花が全てでした
もちろん 今日はどんな花たちに出会えるのかワクワクするのですが 季節感やら植生にとんと弱くなっていました
空気の澄み切った空の雲のあまりに壮大で美しい自然に今包まれてみると
生命への畏敬の念を忘れてはいけない
人間が人間でなくなってしまう
人間社会の枠の中での優越や劣るなどに囚われては大事な大切な忘れ物をしてしまうと
自分の内側に問われるものがあります
そして観音のうたごよみに書かれてある 心の窓をいつでもたたき続けてくれる自然
それに気がついて我に返れますように
自分の中心に戻れますようにと 祈る気持ちでいっぱいです
平成6年12月13日 恭子
Posted by 恭子 at
12:58
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